元イタリア代表でアタランタのレジェンド。クリスティアーノ・ドーニの今って?

ここ数年、プロビンチャのチームでありながらセリエAを圧巻しているアタランタ。そのアタランタで長年活躍した選手を覚えているだろうか。MFクリスティアーノ・ドーニだ。

1973年4月1日にローマ生まれ。18歳の時にモデナでプロデビューをすると、ボローニャ、ブレシャと渡り歩き、1998年にアタランタに加入。途中サンプドリア(2003-2005)とマジョルカ(2005-2006)でプレーをしたがそれ以外はアタランタ一筋でプレーした。

MFでありながら高いシュート技術が特徴の選手だった。代表デピューを飾った日本戦(1-1)で代表初ゴールを記録した。アタランタでは通算296試合に出場、103点を挙げアタランタ歴代最高得点記録保持者である。

しかし、2011年、意外な形でキャリアを終えることになる。八百長スキャンダル(カルチョスコンメッセーポリ)に関与した疑いで逮捕されからだ。合計5年半の出場停止処分を受け、選手生活に終わりを告げた。

その後、表舞台には表さすことはなかったが、先日イタリアの著名記者アレッサンドロ・デッロルト氏によるインタビュー記事が「Libero Quotidiano.it」1に掲載された。興味深い話がたくさんあったので、ぜひ拝読いただきたい。


デッロルト記者(以下デ):ドーニさん、ベルガモで今何をされていますか。(ベルガモはアタランタがある町)

ドーニ:私はベルガモにずっと住んでたよ。

デ:そうなんですか?マジョルカに移られたと聞きましたが。

ドーニ:そうだね実はマスメディアのガセネタなんだよ。数多くあるガセネタのうちの一つだね。あるメディアが言うには、ここにあるものをすべて売り払った、また別のメディアはブラジルに逃げたと言っていた。だが、私はずっとこの町にいた。マジョルカには別荘があり、2011年からレストランの経営をしていて、1年の内、1か月はマジョルカにいる。

デ:ベルガモを離れようと思ったことは?

ドーニ:そりゃあるさ。あの事件が起こった時考えた。家族を守るための手段だと思ってね。ただ、ベルガモを離れないという純粋な気持ちがあった。子供たちが大きくなったら、離れるかもしれないがね。

デ:お子さんたちは今おいくつですか。

ドーニ:ジュリアが15歳、ルーカスが5歳になった。

デ:スポーツはしていますか。

ドーニ:下の子は最近サッカースクールに入った。上の子はシンクロナイズドスイミングをしている。

デ:クリスティアーノ・ドーニはまだサッカーをしている?

ドーニ:友人と7人制サッカーの大会に参加している。チーム名は”ペテン師”っていうんだ!面白いだろ(笑)

デ:面白いですね(笑)サッカー以外では何をされていますか。

ドーニ:実業家としていくつか活動をしている。若い選手を発掘するスカウティングや代理人への仲介業をしている。海外には頻繁に行っており、ポルトガルや北ヨーロッパの試合を偵察している。

デ:ずっと前から?

ドーニ:約2年ほど前からやっている。(イタリアサッカー協会の)出場停止処分が解けてからだ。それより前に始めることはできたが、倫理的な問題から出場停止が明けるのを待った。

デ:ここ数年、あなたに関してはほとんど知られていませんでした。口を開くこともなく、実質的にスポットライトを浴びませんでした。

ドーニ:あの事件で私はスケープコードに晒された。沼を走るトラックカーとのと闘いでもあった。底なし沼にはまったようだった。おっしゃったように、何かに利用された感じだった。

デ:例えば?

ドーニ:口にしたことがない事について記事にされてしまった(2000年のアタランタ対ピストイエーゼ戦にアッレグリ監督が絡んでいたとか。。)。盗聴の内容もうまく編集された。虚偽と悪意に満ちていた。メディアだけでなく、クレモナの検察にも同じことをされた。。

デ:ベルガモの人々はあなたにどう接しましたか。

ドーニ:あの事件があって以降、外にはほとんど出なかった。もちろん、普通の生活ができなかった。しかし、幸運なことに時間が経つにつれて、私の本当の罪が明らかになって、今では愛情を持って接してくれる。特にピッチでの功績を思い出してくれることが多い。

デ:ファンと出会ったとき、どのような言葉をかけられますか。

ドーニ:キャプテンと声をかけられ「今のアタランタにいたら、スクデットを狙えるよ!」って言われるね。

デ:ガスペリーニのチームは応援してますか?

ドーニ:私は一番のファンじゃないかな。だが、少し嫉妬をしていることは認めるよ。今のように強いチームでプレーしていたら最高だったかもしれないしね。

デ:もしもの話をしましょう。あなたが今のアタランタでプレーしたら、どのポジションになりますか。

ドーニ:去年のクリスタンテのポジションかな。ゴメスとイリチッチの後ろだね。かなり笑えるな。

デ:ゴメスとイリチッチどちらに似ていますか。

ドーニ:私とパプ(ゴメス)ではフィジカルや、特徴、プレースタイルが完全に異なる。イリチッチのほうが私に似ている。彼のほうが、技術的に優れているが、私のほうが他の能力が高かったかもしれないね。

デ:アタランタのスタジアムに観戦に行かれますか。

ドーニ:いや、行っていない。ペルカッシ会長の招待がなければ、勝手に行ったと思われるからね(事件以降ペルカッシ会長とは話すことができていないという)。

デ:上のお子さんには事件について聞かれたことはありますか。

ドーニ:いや、聞かれてはいない。とても賢い子なんだ。彼女は聞く必要なんてないと思っている。けど、私は聞かれた時のために言う準備はしてある。

デ:お子さんに事件のことについて聞かれたら、どう話しますか。

ドーニ:人生で過ちを犯すことはある。だが、底に落ちた後は向上しかない。お父さんは過ちを犯した。だが、男としてその責任をとって。。それ以上のことをしたかもしれない。彼らは私がただサッカーの試合の話していると記憶すると思う。

デ:お子さんが「どんな過ち?」と聞いてきたら?

ドーニ:「お父さんは自分の鼻に自分の体より大きなものを突っ込んでしまった。それをしなくても今とは何も変わらない。サッカーで残した結果もね。その代わり、他の人より多くのお金を払っちゃっただけだよ」と言いたいかな。

デ:話題を変えて、時計の針を戻しましょう。1998年にベルガモにやって来ました。サンプドリアでもプレーをされていましたが。。

ドーニ:あれは間違いだった。後悔している。

デ:加えてマジョルカでの1シーズンを除けば20年アタランタを応援されています。一番イカれていたチームは?

ドーニ:2007-2008シーズンだった。デル・ネーリが監督だった。主力は私と、マンフレディーニ、ザンパーニャ、カロッツィエーリ、ランジェッラ、ボンバルディーニがいた。フランスのディジョンとの親善試合に招待された。

後半の半分が過ぎたころ、2-0で勝っていた。すると、後ろから危険なファウルをされ、私は選手の髪をつかみ上げた。すると、選手全員が集まってあり得ないくらいの乱闘が始まった。それが終わって監督がロッカールームに戻ってあのしゃべり方で言った。「私は何かしたかね」

デ:なかなかの話ですね。アントニオ・コンテ監督と口論になったと聞きましたが、そちらはどうですか。

ドーニ:その時、チームの前での私へのリスペクトに欠けていただけで、私は彼をとてもリスペクトしていた。その後、お互い和解をし、私はアタランタのために全力を尽くした。他の選手よりもね。。

デ:30年後、ティフォージにはどのように記憶されていたいですか。

ドーニ:ゴールについてはあまり。。だが、アタランタに注いだ努力と愛情は忘れないでほしい。

 

脚注

  1. https://www.liberoquotidiano.it/news/sport/13413749/atalanta-torniamo-insieme-intervista-a-cristiano-doni-il-racconto-di-una-carriera.html -2018年12月25日